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科学と政治が交叉するとき物語が始まる


どれが役に立ってどれが役に立たないなどという言動は、全く意味を為さない。  鉱物資源が多いわけでも広大な農地があるわけでも無い日本は、科学を軽視して生きていくことなど出来ない。幸い、多くの日本人はここまでは理解してくれる。  だが、何故かここでおかしな方向に走り出すものが少なくない。その中の典型例が、「科学とは、科学技術=工学(工業技術)の事だ」とばかりに、工学とそれに直接資する物理や化学を偏重する言動をとるものがいる。  「それが何の役に立つんだ?」という頭の痛くなる言葉を、一体何百回聴かされたことであろうか。  無論私は工業も物理も否定するつもりは毛頭ない。私はこれでも物理学科卒だ。だが、先に述べたように、科学とは相補的なものだ。本気で工学を発展させたいならば、自然科学に限らず人文社会領域でもありとあらゆる分野を底上げしていかねばならない。  智嚢とはそのように涵養されてゆき、それが新たな発見を生み出してゆくものだ。これは勿論工学に限らず、他の全ての「科学」に対して言えることだ。  コロナ禍においても同じ事が言えるだろう。政府が自ら任命した医学者ですら、政府与党に軽んじられるのが日本の現実だ。日本国産のワクチンがなかなか作れないのも、生命科学に於いて短期利益ばかりを追い求め基礎研究を怠ってきた結果だ。  そして、短期利益至上主義の犠牲になっているのは、何も生命科学だけでは無い。  近年日本人若しくは日本生まれのノーベル賞受賞学者が増えているが、彼らはコメントを求められる度に、基礎研究の重要性を訴える。科学者からしたら至極当然のことなのだが、「科学=科学技術」と勘違いしている日本人、とりわけ一部の政治家には、これだけ口を酸っぱくしていっても尚届かないという事なのだろう。  事実、今回の総選挙でも「科学技術」の振興を唱えておきながら具体策は出さず、基礎研究の充実には一切触れず、あまつさえ法で定められた日本学術会議の推薦候補を未だに任命しないという、謂わば科学サイドへの敵対行為を続けている政党がある。  今年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏(※愛媛県生まれだがアメリカ国籍を取得している為現在は日本人では無い)に至っては、受賞に当たっての記者会見でこの日本学術会議の問題に関してはっきりと苦言を呈している。  どういうわけか、これ以降真鍋氏の言動を日本のマスメディアが伝えることはなくなってしまったが。  上述の政党に比べれば、まだずっとマシな政党は確かにある。そこそこ本気で、科学重視・科学振興を考えているのだろう。だが一方で、過去に反科学的なカルト集団を党内に引き入れそれに対して一言の反省の弁もない政党と手を組んでもいる。そこが解せない。  また、こういう「マシな政党」であっても、下の方の候補者や地方議員、党員にまで行くと「自分は数学や物理がきらいだったから」というクソ下らない理由で科学を敵視している愚か者がいるのも、事実である。  正確に言えば、数学や物理だけが科学では無いということをきちんと教えてこられなかったこの60年あまりの日本の教育、そしてその方針を定めてきた政治にこそ責任があるのだが。  科学と政治のあり方。そして実際に現場と向き合う行政と科学のあり方。日本の没落とそれに拍車をかけたコロナ禍の最中の総選挙だからこそ、それを争点とし論戦を交わして貰いたかったものなのだが。それにはあまりにも、選挙期間も有権者の意識も、足りなさすぎるのだろう。  奇跡に近い閃きを発動させる天才でも現れない限り、は。 ]]>


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