沖縄振興一括交付金)とは、国庫支出金(国から地方に交付される2種類の交付金のうちの1つ)のうち一定の範囲内で沖縄県や沖縄県内の市町村が自由に使途を決めることが出来るようにした制度で、地方交付税交付金と国庫支出金の中間に当たるとも言える制度である。 ※以下、http://xatosi.info/ihawiki/doku.php?id=%E4%B8%80%E6%8B%AC%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91より抜粋
一括交付金とは、国庫支出金を大枠で交付する事によって、地方の裁量幅を広げ自治体財政を柔軟化させるための手法として提唱されているものである。
国庫支出金は、国が地方に交付している資金のうち、使途を指定しているもののことを指す(使途を指定しないものは地方交付税交付金と呼ぶ)が、この使途が現在は非常に細かく指定されており、また金額も多すぎても少なすぎてもいけないという事になっている。この為、無駄な公共事業を行わなければならなくなったり、逆に必要な事業に資金を回せないという事態になっている。
これを解消するため、国庫交付金は自治体毎に使途のリストと全体の金額だけを指定し、各事業への資金配分は自治体に委ねる、というのが一括交付金の発想である。
仲井眞弘多氏、伊波洋一氏ともにこの国庫支出金の一括交付金化を求めていくとしている。
その一方で伊波洋一氏は、宜野湾市長時代には国庫支出金の利用で、低入札価格調査制度で浮いた費用を使い指定された事業費目でまた別の事業を発注するという手法で国庫支出金を有効活用している。
仮に県知事に就任した際には、一括交付金制度が実際に導入されるまでは、この手法を使っていくものと思われる。
上記文書にあるように、沖縄の一括交付金は元々は、2010年沖縄県知事選で左派系統一候補だった伊波洋一氏(現参院議員、沖縄の風所属)が公約として掲げたものがベースになっている。
仲井眞弘多知事も(事後であったが)これを公約に入れたため、2期目にこの一括交付金を政府に求めていくこととなった。
その当時、東京政府は民主党政権が掌握しており、その民主党はマニュフェストで”一括交付金”の導入を掲げていたため、自民党政権のようにそでにすることは無く導入自体は前向きであった。が、この制度は霞が関の官僚の裁量権を奪う制度でもある為抵抗が強く、導入は難航した。
この時、玉城デニーは沖縄県選出の民主党議員であった為、この”沖縄一括交付金”の導入に奔走したのである。
この一括交付金をフル活用して、保育園の待機児童解消や鉄軌道整備の調査費用などに充てて、沖縄県経済の最下位脱出成功に導いたのが、”オール沖縄”の翁長県政である。
つまり、この制度は(県知事選の)玉城デニー陣営が導入し活用した制度なのである。
間違っても、自民党やその系列の人間の功績などでは無い。
(※いちゃもん付けられる前にあらかじめ言っておくと、仲井眞弘多氏は県知事時代こそ自民公明を与党と頼んだが、元々は大田革新県政の副知事であり、自民党の人間では無い。)
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