「結果の平等より機会(チャンス)の平等を」という理屈は、前提条件として「資本の平等(=結果の平等)」が必要である、という認識が浸透し始めた。 「21世紀の資本」で数理的に証明された事柄の一つでもある。 新自由主義にしろ共産主義にしろ、結果の平等を無視することなどできないのである。 さて、新しい総理大臣殿は、この件についてどのような認識でいるのだろうか。 自民党総裁選のさなか、一般学生から教育の在り方についてと割れたとき、彼はためらうことなくこう答えた。「結果の平等より、チャンスを平等にする。こうしなけれなりません!」と。 彼が叫んでいた「新自由主義からの脱却」とは、一体何なのであろうか? 元々言う事がコロコロ180°レベルで変わる、言葉に重みがない人物なので、いちいち言葉尻をあげつらうこと自体が無駄なことなのかもしれないが。 ]]>